Since '98.12.1
Osaka&Tokyo Joint Travel
From March.26.'97 To 28.
 はじめに

 この旅行の発端は、我が友人数人による「東京へ行こう!企画」であった。それに、なぜかディズニーランドがくっついてしまった。しかも男ばかり。むさ苦しいような気もするが(事実むさ苦しかった)、ディズニーランドはしばらくご無沙汰していたので行くことにした。東京の大学は興味ないので、東京ではどこかへ行くことに。

 私は私で、春休み中に大阪に行って来ようと思っていた。そこで、この2つをくっつけて2泊3日の旅行に仕立て上げてしまった。うちの親が半ば呆れていたことも付け加えておく。  

 March.26 (Wed.)

 始発に乗るために

 朝4:40、家を出発。前の日から寝てない。3:00ごろから荷物の整理を始め、朝食をとろうと思ったらろくなものがない。結局レモンティー2杯だけで家を出る。

 親を起こすわけにはいかないので駅まで走っていくことにする。家から豊田市駅まで約7km、過去の体験(!!)から、駅まで1時間かかる計算で家を出たのだが、なんと5:20には着いてしまった。5:40の三河線始発まで20分余り、朝食を買おうにも豊田市駅のあたりにはコンビニがない! 図書館・能楽堂・コンサートホールの建設のためにサークルKが休業しており、他にコンビニがない(あるいは私が知らないだけかも)ので、空腹のまま使い道のない時間を過ごす。

 5:40の知立行きに乗り、6:03に知立駅着。知立のミスタードーナツは6:00から開店しているので有り難い。ただ朝からドーナツは食べたくないので、“ミスター飲茶セット”を買い、名古屋本線の車内で食べることにした。

 ところが、やってきた6:13発急行犬山経由新岐阜行きは、3500形の4+4両。地鶏まんと肉まんは食べたけれど、タレをかけるエビ餃子とシューマイは食べられなかった。(この“ミスター飲茶セット”、容器の底に水切り用の穴があいてて、タレをかけると厄介な事態になる。俺の食べ方が間違ってるのか!?)

 6:40に新名古屋に着き、JRに乗り換え6:44発米原行き普通1421M(117系4両)に乗る。この乗り換えは今回が初めてではないのだが、4分しかないのでちょっと焦る(同様に、豊田市発5:30の豊田線で6:31発の近鉄急行(中川行き)に乗り換えるときも、5分しかないので焦る)。でも実際は余裕で間に合ってしまう。さて、この列車、去年('96年)の冬は相席で座れるくらいだったのだが、今日は結構混んでいる。新聞を買っておいたのでそれを読み、さっきのエビ餃子とシューマイを意を決して食べ、米原までの時間を過ごす。大垣からはさらに込んできた。8:02米原着。

 普通と新快速、どちらを選ぶ?

 最も早い京都方面の列車は8:07発の普通(221系6両)だが、京都・大阪へは8:19発の新快速3613M(米原始発・221系8両)の方が先に着く(近江八幡で追い越し)。京都までは長丁場なので座っていきたい。何せ、初めて18きっぷで大阪に行ったとき名古屋から3時間ずっと立ち通しで辛かった記憶がある(その後大阪駅で1時間以上走り回っていましたが)。他の乗客の様子を見ながらどちらに乗るかを決めようと思い、8:07発の普通列車を待つ。すると、何と立ち客が出るほど乗ってしまった。よって新快速決定!! 先頭・1号車の停車位置で待つ。関西地区の人は挨拶なしにクロスシートの隣の席に乗ってくるので、遠慮は必要ない。窓側に陣取り、山科まで爆睡。

 京阪京津線に乗る

 9:09山科着。ここで京阪京津線に乗る。今年('97)の秋に地下鉄東西線が開通すると、ここ(正確には御陵)から京津三条までの地上区間は廃止されてしまうので、今のうちに乗っておく。以前、石山から京津線全線走破を兼ねて乗ったのだが、そのときはちょうどこの区間で眠りこけてしまい、気づいたら京津三条だった。今回は、その仕切り直し。
(写真1:京阪80形)

 JRの改札を抜けると、地下鉄工事のため京津線の駅の場所がわかりにくくなっていた。案内に沿っていくと駅があり、ちょうど電車(80形・各停)が止まっていた。あわてて切符を買い、飛び乗る。車内は地下鉄東山線さながらの込みようで、何とか運転席の真後ろに陣取る。

 列車は山科を出ると、しばらく専用軌道を走る。左手には地下鉄東西線のトンネルが口を開けている。・・・・・・京津線の様子は他の本に任せることにして、とにかく京津三条に到着。もうすぐこの駅もなくなってしまう(正確には地下鉄の駅となる)と思うと、もっと長い間いたい気もするが、退屈するので先に行く。

 旅行から帰ってきて思ったのだが、山科で急いで電車に飛び乗ったのは失敗だった。山科の駅前も変わってしまうので、もっと雰囲気を味わっておくべきだった。また、今度は京津三条まで歩いて写真を撮ろうと思う(その願いが叶う前に京津線は廃止されてしまいました・・・・)。

 京阪本線の車両はおもしろい!

 京阪本線の三条駅に行く。当初の計画では奈良へ行き大仏でも見学して、JR奈良駅から片町線を通る予定だった。しかし、それでは奈良に2・3時間しかいられず物足りない。「どこへ行こうか」と路線図を見ながら考えていると、路線図に「宇治」の文字。宇治といえば、10円玉のデザインにもなっている平等院。一度行ってみたかったんだ、というわけで目的地決定!

 三条から宇治へは直通の普通列車もあるのだけれど、遅くなるので急行で中書島まで行き、宇治線に乗り換える。宇治線には普通しか走っていないが、急行に乗っている間に2本の宇治行き普通と連絡したほど列車密度は高い。
(写真2:京阪7200形LED式表示板)

 その急行に使われていたのが7200形。乗ったときは「VVVFだしLED式可変案内板もあるし、新しいな」と思ったが、当時まだ5編成しかない貴重品(?)。4両編成オールロングシートの通勤車で、扉の上には路線図併用のLED式可変案内板が千鳥配置されている。阪神5500形・9000形のものとは少し違い、文字の表示が緑1色で、横に2列並んでいる。

 中書島に到着。向かい側には宇治行き普通が止まっており、発車まで写真を撮ろうとホームにたたずむ。すると発車ベルもなしに扉を閉め発車してしまうではないか!ここはヨーロッパじゃないんだから。もっとも、すぐ次の列車が入線するため、列車の中にいればベルなどいらないかもしれないが。ちなみに8・9時台は8本/時、10時台でも7本/時、11時以降は5本/時の列車が走っている。

(写真3:京阪5000形)

 中書島にいるとき、様々なタイプの車両が通っていった。この春デビューしたばかりの9000形を始め、8000形、5000形(5ドア)、6000形・・・・・・と多彩。今まで京阪は特急ばかり利用してきたため通勤形車両には縁がなく、とても新鮮だった。10:15ごろ、ようやく中書島を出た。

 これが平等院か・・・

 10:30ごろ宇治駅着。駅舎・駅前は只今改築中といった感じ(もっとも、ほとんど出来上がっているのだが)。駅前からは関空行きのリムジンバスが運行している。

 京阪の宇治駅から平等院へは10分弱で行ける。JR宇治駅へは徒歩で15分ほどかかる。平等院を見物し、その隣にある「歴史街道インフォメーションセンター」で源氏物語宇治十帖のVTRを見たりしているうちに昼になる。茶そばと抹茶アイスクリームを賞味し、お土産にと由緒ある(と宣伝していた)お茶屋さんで100g 1,500円もの高級なお茶っ葉を買った。帰ってきたら“おかん”が「けちなお前がよくこんな高いものを買ってきたなあ!」と驚いていた。そのお茶は今でも大切にしまい込まれている。  

 奈良線の輸送体系に疑問

 平等院から10数分歩き、JR宇治駅へ。ところが宇治駅の時刻表を見ると、京都方面が毎時快速1本・普通3本、奈良方面が毎時快速1本・普通2本。なんだこれは! 2大観光都市を結ぶ路線がこれでは、JR東海が「京都・奈良周遊きっぷ」の京奈路線に近鉄を指定するのもうなづける。近鉄京都駅が新幹線との乗り継ぎが便利な位置にあることとJR奈良駅が奈良の中心地から離れているのが原因だろうが、アーバンネットワークを形成する路線がこれでは困る。今年9月1日から宇治止まりの列車を城陽までのばすようだが、城陽は宇治の2駅先なので京奈連絡には効果がない。

 そこで奈良線の有効利用法を考えてみた。

 近鉄は、現在急行・特急とも30分おきに運転され、特急にはビスタカーや伊勢志摩ライナーも使われている。しかし、輸送密度上急行にはロングシートの車両を使わねばならず、かといって特急では高すぎる。そこで、まず運転本数を毎時快速2本・普通3本とし、関西線の大和路快速を奈良線に直通させる。ロングシート車を使わざるを得ない近鉄に対し、JR西日本の誇る221系で対抗する。快速なのでもちろん特別料金は必要ない。その上、運賃が新幹線と通しで計算されるので、価格面では十分対抗できる。できれば普通列車も117系で運転してくれると良い。

 とにかく、次の列車(12:46発普通奈良行き633M)まで20分以上も待った(三河線でもこんなに待たない)上、やってきたのが103系(黄緑色)だったのでガックリ。奈良まで寝て過ごす。

(写真4:奈良駅舎)

 片町線と207系

 13:27奈良着。奈良駅の駅舎は寺院を模しており、風格がある。なのに平屋建てなので天井が高い。夜になると駅名標に鹿のシルエットが浮かぶらしいが、JRになってからもシルエットが浮かぶかは知らない。駅前は近鉄ほどではないが賑わいがある。郵便局で旅行貯金をし、14:03発普通京都行き648Mに乗る。

 14:10木津着。向かい側に、これから乗る予定の14:26発宝塚行き(JR東西線経由)快速が停車中だが、ドアが開いていない。改札を出て、ジュースを買ったり500系「のぞみ」をデザインしたオレンジカードを買ったりして時間をつぶす。

(写真5:JR西日本207系)

 発車5分前にホームへ戻ると、まだドアが開いていない。にもかかわらず車内にはお客さんが。よく見ると、何と半自動ドア!大阪の中心部を貫くこの列車に半自動扱いのシステムがあるとは思いもよらなかった。お客さんのいない両を選んでドアを開けたり閉めたりしてみる。14:26、宝塚行き(JR東西線経由)快速1563M発車。

 片町線は松井山手まで単線で、ドアも半自動扱い。快速といえども各駅停車。まるでローカル線で、学研都市線とか関西文化学術研究都市といってもちっともピンと来ない。ローカルムードに似合わない207系も3両編成。途中、同志社前で同志社大の学生と思われるお客さんが多数乗ってきた。

 松井山手で4両増結し、7両編成となる。予め松井山手に4両待機し、その後ろに木津からの列車がくっつく形となる。おかげで運転席はがら空き。機器類を気兼ねなく見ることができるようになった。そこで気になったのが運転席右手のモニター。なんと各車両の乗客数と混雑率が表示されている。一体何に使うのだろう?と首をかしげる。「止まりにくさ」の参考なら全体平均だけわかればよいと思うのだが。

 松井山手からは停車を重ねる度に乗客は多くなり、京橋に着く頃には乗車率100%近くになっていた。が、その乗客も京橋でほとんど降りてしまい、JR東西線へは座っていけるほど。京橋15:25着。疲れた。

 大阪環状線で大阪駅、そして新大阪駅へ。

 500系「のぞみ」と対面

 新大阪に16:00ごろ着いてしまった。500系「のぞみ」は16:41に21番線に入線し、16:51に発車。荷物整理を兼ねて、ロッテリアで軽食をとる。もちろんクーポン券を使って。ロッテリアのクーポン券は全国どこでも使えてうれしいが、クーポン券がないと高くて買う気がしない(と思ってたら、'97年12月、とうとう値下げした。味まで安っぽくなっていなければよいが)。

 500系の記念きっぷを買おうとみどりの窓口へ行く。しかし売り切れ。発売して1週間も経っておらず、500系人気を見せつけられた。しかし、お目当ての500系「のぞみ」509号は、臨時ということもあってか、まだまだ席に余裕があるとのこと。運転初日の指定券が2分で売り切れた話を聞いていたので意外だった。

 500系のおもしろいのは、「500系」というネーミングで定着していること。普通なら「サンダーバード」「ソニック」「はるか」など車両または列車につけられている愛称で定着するのだが、500系の場合は、「のぞみ」だと300系を指すし別の列車愛称を持つことは不可能なのだが、車両に愛称をつけず正式名称の「500系」で押し通している。車体にも、先頭車両に大きく「JR500」と描かれている。時刻表にも普通は「新型車両で運転」となるところを「500系車両で運転」となっている。

 16:30を回ったので、入場券を買い新幹線ホームへ。私は反対側のホームから写真を撮ることにしているので、20番線へ。20番線は「こだま」専用の番線と化しており、列車案内には「こだま」の文字しかない。16:35に「こだま」535号が発車した9分後の16:44に「こだま」395号が入線するため、20番線から500系をねらえるのはわずか3分間。500系の入線が遅れないことを望む。

(写真6:500系(手前)と300系)

 16:41、定刻通り岡山方面から500系がやってくる。私と同じようにカメラを構えた人が数人いる。20番線と21番線の間には低い白の鉄柵があり、写真を撮るには邪魔な存在である。角度を変えて数枚撮ったあと21番線へ。先頭を間近で見る。かっこいい。見ているとわくわくする。そんな言葉しか出てこない。例によって500系の概要は他の本に任せることにする。

 16:51、「のぞみ」509号発車。用は済んだとばかりに16番線へ。次の目的地は和田岬線。こんな機会でないと乗れないので楽しみだ。

 珍車「キクハ35」に会いに

 17:01発播州赤穂行き快速795M。やってきたのはなんと113系。3月の改正で「データイム快速はすべて221系か223系になった」と聞いていたが、もうデータイムではないのでこんな車両が来た。ワイン色の4人掛けボックスシート。空のボックスを見つけて座ったら、すぐに3人座ってきた。大阪ではこれが普通だ。

 17:41兵庫着。あたりはそろそろ暗くなってきた。今までこんな時間に神戸にいたことはないのでちょっと感激。和田岬線のホームへ行ってみる。次の列車は17:59発。「発車ベルが鳴りませんので乗ってお待ちください」という注意書きが。このホームにはベルすらない。

(写真7:キクハ35)

 コンコースをうろうろしているうちに列車が来る時刻(17:55)になったのでホームに行ってみると、ちょうど到着したところらしく人の流れができていた。ここだけ見れば東海道線と引けを取らない。その人の流れをかき分けて進むのだから、“普通の”乗客からすれば迷惑極まりない。

 車両は空色にぶどう色の帯をまとったキハ35+キクハ35の2両編成が3本連なっている。「キサハ」は他の地区にあっても「キクハ」はここだけだ。通勤路線らしく3ドア車。扉は外吊りで、年代を感じさせる。が、反対側のドアは1つを残して埋められている。またトイレも撤去されており、その部分はシートがない。まったく変な車だ。

 17:59兵庫発(435D)。お客は私を含め数人。和田岬までは思ったより時間がかかる。ディーゼルの足が遅いのか、和田岬線の長さを短く見積もっていたのか。6分後の18:05に和田岬に到着。ドアが開くと同時にお客さんが乗り込んできて、なかなか外に出られない。“普通の”乗客は「降りる客はいないもの」と思って乗ってくるのだが、輸送状況を見れば仕方がない。純然たる通勤路線だ。

 列車は4分後の18:09に発車(436D)。次は18:38(438D)と30分近く間が空く。駅員さん(兵庫駅からの出前)に下車印を押してもらったり、入場券や兵庫までのきっぷを買い求めたりした。そうしている間にもお客さんは集まってくる。今のところ、かなりの需要はあるようだ。

 18:38まで待ちきれないので、市バスに乗って神戸駅に出ることにする。地下鉄工事をやっているため歩きにくい。地下鉄が開通すると、和田岬線はどうなるのだろうか。興味深いところである。

 帰りは阪神9000形

 神戸駅からは、JRでは面白くないので神戸高速で元町へ出る。高速神戸駅では阪神と阪急の車両が肩を並べており、私にとってはどちらも目的地は同じなので(厳密にいうと阪急の方が北になる)、阪神に。元町で下車、夕食に吉野屋の牛丼(特盛)を食べる。

 ここでお土産のことを思い出す。明日は某先輩のアパートに泊まる(といっても雑魚寝)のだが、手ぶらでは悪い。せっかく神戸にいるのだからゴーフルを買っていこう、と思い立って、JRで三宮へ出る。ところがゴーフルがなかなか見つからない。それに阪神9000形に乗りたくなってしまい、阪神の改札の中に入ってしまう。こうなるともうゴーフルは売ってない。まあ、いっか。目の前の3番線には9000形快速急行が。しかしこれより山陽直通の特急の方が先に発車。特急の車両は・・・・・・3000形。快速急行乗車決定!

 9000形の車内は5500形によく似ており(たぶん同一設計)、急いで作ったことを感じさせない快適さ。ただ、西宮から乗ってきて私の隣に座ったオッサン(酒気帯び)の独り言を梅田まで聞かされた。

 223系に乗りた〜い!

 阪神梅田駅からJR大阪駅へは横断歩道を渡るだけで、簡単に行ける。20:20になり、「ムーンライトながら」に乗るには20:30発の新快速が最終便。まだ先輩へのお土産を買ってない・・・・・・と思って大阪駅の中央コンコースを歩いていると、そこにあるのは土産物屋。ゴーフルもある!やった!見つけたぞ〜っ!・・・・・・ところが肝心の売り子がいない。もう1組お客さんが来たところで売り子(お姉ちゃん)登場。あとから来た二人組に先に応対しちゃった。お〜いワシのが先や〜っ、と叫びたいのを我慢して、時間を気にしながら待つ。何とか20:30発新快速3660Mに間に合う。

 3660Mは221系12両編成で、その最後尾にいたためガラガラ。といってもクロスシートには一人ずつちゃーんといてくれる。立ち客もちらほら。運転席を覗くと、207系にあった乗客数&混雑率表示が221系にも付いている。

 3月8日の改正で223系1000番台(東海道・山陽本線用)が大量増備され、新快速における221系と223系の比は1:1くらいだ、と聞いていたので、今度こそ223系に乗れるかと期待していたのだが、また221系。221系が悪いわけではないが、飽きてきた。クロスシートが一つ空いたので座る。この両の混雑率は10%を割っていた。眠らないように日記を書く。野洲に停車。向かい側の普通列車はなんと223系。何とも悔しい。

 米原駅21:54着。向かいに止まっている21:55発快速(緑)豊橋行き4164M(117系8両)に乗り換え。大垣駅では、5番線に9372Mを待つ人の姿が20人ほど見られる。去年まではあれが毎日のようにあったかと思うと、「ムーンライトながら」が有り難いものに思える。

 23時台に岐阜駅新駅舎を見学

 22:38岐阜着。岐阜駅が新しくなったというので見学し、9372Mにも試乗する。

 新駅舎は旧駅舎の奥に位置し、高架駅である。そのため、まだ旧駅舎は取り壊されておらず、旧駅舎内を通って新駅舎に行くような形になっている。ホームは3面6線で、1〜2番線が東海道線(上り)、3〜4番線が高山線、5〜6番線が東海道線(下り)となっている。

 時間が時間なだけに、寝台列車が次の列車として表示されている。22:51さくら、23:04ホームライナー大垣7号、23:10はやぶさ。ところが、「さくら」「はやぶさ」が20分ほど遅れているとのこと。大丈夫か?

 寝台列車は下りの話で、上りには関係ない。23:05発9375Mに乗り、名古屋駅へ。  

 373と167,上り唯一のご対面〜名古屋駅にて

(写真8:167系第1編成)

 9375Mには神領区の165系4+4両または田町区167系4+4両が充てられる。今日はJR東日本の田町区の車両で、前4両が167系のトップナンバーだった。直角シートではあるが113系のような薄っぺらな背もたれではなく、厚い肉が付いてるのがうれしい。足を延ばして眠れたら373系より快適なのに...と思う。23:26名古屋着。ここで372M「ムーンライトながら」に抜かされる。

 それより名古屋駅での楽しみは「ちくま」である。機関車にヘッドマークが付いていないのは残念だが、きっちり撮影。何かの雑誌に「ちくまの利用客は年々減っており、もっとも乗客の多い区間は京都〜大阪だった」と書いてあった気がするが、この日を見る限りではそこそこ賑わっていた。今度は9372Mを撮ろうと前に後ろにと走り回る。

(写真9:急行ちくま)

 そうこうするうちに372Mが発車する23:41になる。夜中だというのに汗だくになって、アホみたい。刈谷を過ぎ、日付が変わる。
 
 March.27 (Thu.) 

 372M「ムーンライトながら」

 岡崎駅からは友人3人+某先輩が乗ってくることになっている。某先輩は自分で指定席券を買っているので、私と友人分の4席をまとめて取った。が、その席に他の人が座ってくる。どうやら指定席券を持っていないようで、車掌に500円(当時。現在は510円)払っていた。その人も岡崎までにいなくなった。他にもこういう人が多くいるみたいで、車掌さんは指定席券のチェックに忙しそうだった。

 一部区間のみ乗車するのなら9372Mを利用すればよいと思う。また、車内で指定席券を購入しても席はないのだから(運が良ければ静岡まで座っていけるかもしれないけれど)、素直に9372Mを利用してほしい。その方が、シートはともかくとして座席にありつけると思う。と思うのは、指定席券を持っているからなのだろうか。

 「ムーンライトながら」に乗るのは、今回が2回目。前回は「夜行列車だから減光するだろう」という予想を見事に裏切られ、明るさのせいで沼津(2:46)あたりまで眠れなかった。その反省から、今回は事前にアイマスクを買っておいた。ただ、アイマスクを薬局で買ってしまったために柄がawfulという欠点があり、少々恥ずかしい。t-FACEにJTBトラベランド(旅行グッズ屋)ができたので、今度からはそこで調達しよう。

 昨日寝てないせいなのかアイマスクのおかげなのか、今回は熟睡できた。4:42東京着。

 初対面!「月光型」国鉄色583系

 某先輩とはここで別れる。新居の荷物整理をするそうだ。その間、我々4人は男ばかりでTokyo Disneylandへ。が、開園(8:00)まで3時間もあり、暇を持て余す。東京駅といえども朝4時台ではKioskも開いていない。京葉線のコンコースに待合室を見つけるが、朝6時からしか開かないとのこと。あいにく小雨がぱらつく天気。相談の結果現地で待つよりも東京駅で時間をつぶした方がよいということになり、めいめいの方法で時間をつぶす。

 私はというと、それを利用して上野駅へ行く。お目当ては急行「津軽」583系。上野着が5:52なので、5:30ごろ東京駅を出発する。

 583系とは、以前向日町車両区で新快速の車内から会っただけである。「シュプール号」の回送を狙って大阪駅で待っていたこともある(が、来なかった)。あと、強いていえば去年の夏に419系に乗った(長浜〜武生)くらい。恋い焦がれども巡り会わず、まるで彼女みたいな関係(号泣)。

(写真10:急行「津軽」(右)と「能登」(左))

 「津軽」は上野駅17番線に到着するため、間近で写真を撮るにはいったん外に出て入場券を買う必要がある。入場券を買って17番線に行くとすでに到着しており、車内清掃を行っていた。一通り撮影し、窓越しに車内の様子をうかがう。去年の夏、今回同行の友人Nの言葉を思い出す。「(北海道へ行って)いろんな列車に乗ったけど、これ(583系「はつかり」)が一番良かった。」と。車内を眺めていると、無性に乗ってみたくなってくる。大学に入ったら583系(国鉄色)に乗るつもり。そのときまで、現役でいてほしい。

 ここから先はTokyo Disneylandの話なので省略する。
 

 March.28 (Fri.)

 まずは西武鉄道

 某先輩の新居は国分寺駅から徒歩10分くらいのところ(某先輩は一橋大に受かったのだ)。国分寺の街は雑然としていて道幅も狭いが、必要なものは何でもある。新宿まで特快で21分、は近い。

 先輩に教わったカフェテリアで朝食を摂る。只今9:10、昨日はJRでここに来たので、今日は西武でスタートすることに。ならば、西武の要・所沢を通らないわけにはいかない。それから池袋にでも出ようっと。

 券売機でとりあえず所沢までのきっぷを買う。国分寺駅はJRと西武のホームが隣り合っており、改札も並んで設けられている。そして、JRと西武が直接往来できる連絡改札口があるのだか、自動改札しかない(券売機もない)ので定期券専用である。利用者の大半は通勤客だから、これで十分であろう。改札をくぐり、5番線の東村山方面(国分寺線)に乗る。国分寺駅には多摩湖線も乗り入れており、7番線に発着する。

 止まっていた車両は2000形。もちろん黄色。列車案内板を見ると、普通は“○両”となるところが、“○ドア”となっていた。東京らしい、といえば東京らしい。

 列車はあっという間に東村山に到着。関係ないが、ここは志村けんの出身地である。ここで新宿線に乗り換え、所沢へ。所沢まではわずか3分、隣の駅。来たのは急行本川越行き6000形。わずか3分の乗車とはいえ、うれしい。

 所沢に到着。関係ないが、ここは所ジョージの出身地である。また、池袋線と新宿線の交点であり、列車の往来が激しい。ここで初めてNRAこと10000形に出会う。印象としては、5000形のような「特急だ!」ということを主張した感じではなく、優しい感じを受ける。丸みを帯びた車体やパープル&グレー系の塗装のせいだろう。乗ってみたいのだがお金がない。

 しばらく所沢にいて気づいたのは、いつの間にか6000形が幅を利かせていることだった。先述の通り東村山から乗ってきた急行は6000形だったが、池袋行きの急行や快急を待っていたらどちらも6000形。その他、所沢で2回、池袋で1回、計6回見かけたことになる。2年半前初めて西武を利用した(練馬〜池袋)時は6000形は話に聞いただけだっだので、成長ぶりには驚かされる。もっとも、名鉄3500形の方が急成長だと思うが。

 所沢でしばし撮影の後、快急・池袋行きで池袋へ。

 荷物が重い!

 池袋に着く10:30頃には、前日までのお土産・チラシ・時刻表etc.で、カバンがとてつもなく重くなっていた。フィルムが底をつきそうになってしまったのでヨドバシカメラでフィルムを買った後、豊島郵便局へ向かう。この郵便局はサンシャイン60のすぐ近くにあり、修学旅行('95年12月)の時に見つけた。サンシャイン60の中にも郵便局はあるが、こちらは修学旅行の時に旅行貯金を済ませてある。ゆうパックで着替え・お土産・チラシ・時刻表等を家に送る。

 駅に戻る途中に古本屋があったので立ち読みしに入る。少しのつもりが長引いてしまい、駅に着いたのが11:45。地下鉄丸の内線で東京駅へ。

 JR北海道プラザの対応

 12:10東京駅着。時間の都合上帰りは新幹線を利用するので、JR北海道プラザで帰りの乗車券と新幹線特急券を購入する。これでJR6社すべてからきっぷを買ったことになる(JR四国とJR九州は、昨年夏に大阪・梅田のワーププラザ・ジョイロード九州で「青春18きっぷ」を購入)。

 少し話がそれるが、以前、北海道へ行った友人に「どこでもいいからJR北海道の切符買ってきて!」と頼んだことがある。もちろん地紋目当てである。その友人は函館駅と長万部駅の入場券を買ってきたのだが、それを見て驚いた。JR東日本・東海・西日本・四国・九州の地紋はそれぞれJRとE(East)・C(Central)・W(West)・S(Shikoku)・K(Kyushu)の組み合わせだったので、JR北海道もJRとH(Hokkaido)の組み合わせだと思っていたが、何とJRと「北」の組み合わせだった。

 閑話休題。JR北海道プラザに入り、まずオレンジカードの自販機を眺める。キハ283系「スーパーおおぞら」のオレカがあれば良かったのだが、特に気に入った絵柄がないので買うのをやめる。

 窓口に行き、「熱海から豊橋までの乗車券と自由席特急券ください」と言う。学割証をもらっているので提出すると、「学生証を見せてください」。あ、ちゃんとしてるなあ。と感心しながら差し出すと、記載事項を確認の後、マルスで発券された切符に「身証第  号」というハンコを押し、「2011」(生徒番号)と書き込んだ。ここまでちゃんとした対応は初めてだ。しかもてきぱきとしている。本来ここまでやる必要があるのなら、他の窓口はどういうつもりだろう、と首を傾げたくなってしまう。

(写真11:「身証第  号」というハンコの入ったきっぷ) 

 大人気!E2系

 本日のお目当ては「やまびこ・こまち3号」。E2系+E3系の最速達編成である。登場してまだ1週間も経っていない。それを撮影した後、臨時「やまびこ・こまち29号」でE3系に大宮まで試乗する予定。

 ということで、大宮までの乗車券(当時530円)と自由席特急券(当時1,020円)を買う。以前は自由席特急券もオレンジカードで買えたのだが、今回はどこを探してもそのような券売機はなかった。仕方ないので、特急券分は現金で払う。

 「やまびこ・こまち3号」の入線は12:52、発車は12:56。わずか4分しかない。

 12:40ごろホームに出る。東京駅の新幹線ホームは、このときは1面2線(12,13番線)しかなく、幅もさほど広くない。そこに1時間当たり8本もの営業列車を詰め込んでいる。しかも、車種が多いため回送列車が多くなり、過密状態に拍車をかけている。例えば、12:44に「やまびこ・こまち12号」(200系+E3系)が東京駅に到着しているが、次の「こまち」は「やまびこ・こまち3号」(E2系+E3系)なので、回送になる。本当なら、東海道新幹線のように東京駅に留置しておき清掃をしたいのだろうが、何せ2線しかない今の状況ではどうしようもない。車種の多様性が、狭い東京駅をより狭くしている。2面4線になる10月1日の北陸新幹線開業までの辛抱だ。ちなみに、国鉄時代の計画では14番線(現・東海道新幹線ホーム)は東海道新幹線と東北・上越新幹線を直通できる配線にするつもりだったらしい。

 12:52になり、E2系がE3系を従えて入線してくる。ホームは人でびっしり。その多くが、到着したE2系・E3系目当ての人である。乗る人もいれば写真を撮る人もいる。入口の前でE2系をバックに記念写真を撮る家族も。そんな狭いところで記念写真撮らんでもええのに!と思う。それだけ珍しいのだ。特にE2系は北陸新幹線開業までは滅多に姿を見せない。275km/h運転をすることもあり、人気が集中している。

(写真12:E2系「やまびこ」)

 12:58、「やまびこ・こまち3号」発車。次は仙台〜。だから試乗できない。半年経てば毎時1本は走ることになるから、それまで待とう。

 「台風一過」の臨時「こまち」の状況

 「やまびこ・こまち3号」が発車すると、ホームの人口は半減した。「やまびこ・こまち3号」の発車直前に13:00発「やまびこ47号」(200系H編成・16両)が入線したが、あまり乗るお客はいない。12両で十分だと思う。

 目的の列車は13:16発臨時「やまびこ・こまち29号」。臨時列車で、しかも最速達列車の後だから乗客も少ないだろう、と践んでのことだ。それでも、念のため「こまち自由席乗車位置」に並ぶことに。発車15分前で「まだいいかな」と思ってジュースを買ってきたら、前に1人並んでいた。仕方なくその後ろにつく。

 13:08発「あさひ317号」、13:12発「やまびこ・つばさ131号」と発車し、ようやくが入線する。結局、私の後ろには数人しか並ばなかった。

(写真13:E3系「こまち」)

 車内はなかなか明るい雰囲気で、シートも気持ちいい。自由席の禁煙車なのにお客はまばらで、乗車率15%くらい。後ろに誰もいない席を選んで、気兼ねなくシートを倒す。荷物入れにあった沿線案内(と言っても200ページはある)を見つつ、体を休める。あぁ〜極楽。と言っても寝てしまうと大変なことになるので、寝ないように気をつける。

 大宮に着く直前に「こまちグッズ」の存在を知る。車販準備室へ行き「こまち下敷き」(確か250円だった)を買う。少々高い。13:42大宮着。26分の「こまち」試乗はこれにて終了。

 停車位置板が林立

 せっかく大宮に来たので、一通り形式写真を撮ることにする。そのためにホームの端に行って気がついた。停車位置板がたくさんある。ぶどうのようにたわわになっているのもある。

 東海道新幹線は16両編成ばかりなのでこんなに必要ないが、東北・上越・山形・秋田新幹線の場合はこれだけの編成が存在する。

  7両編成−400系「つばさ」単独編成
  8両編成−200系G編成、E2系N編成(北陸新幹線用)
 10両編成−200系K編成(「つばさ」「こまち」併結用)単独
 12両編成−200系F編成、E1系Max
 13両編成−「こまち」E2系+E3系
 15両編成−「こまち」200系K編成+E3系
 16両編成−200系H編成(2階建て2両連結)
 17両編成−「つばさ」200系K編成+400系

(E4系(8両編成)が登場すると、8・16両編成のバリエーションがさらに増える)

(写真14,15:大宮駅にて)

 列車によっては、過密状態の東海道新幹線よりさらに多くの車両を連結している列車もあるのだ。ホームと線路の間には柵があるが、足下には乗車位置を示すプレートと、注意を促す「あしもとちゅうい」ランプが埋め込まれている。東京駅には頭上にも列車案内板があり、何とかして複雑な運転形態を案内しようとしているのが見て取れる。

 大宮駅にて

(写真16:「こまち」の張りぼて)

 コンコースに降りて最初に目に入ったのが、E3系「こまち」の張りぼて。「こまち」と秋田を宣伝している。「つばさ」のように成功するといいのだが。

 改札を出て、郵便局を探す。案内所で尋ねると西口のステーションビルの1階にあるということで行ってみる。が、いくら探しても見つからない。それもそのはず、入口がビルの外側にしかなく、ビルの中だけ探していた私には見つかるはずがなかった。で、郵便局に入るとすごい混雑!年度末だから仕方ないか、と思いつつ待つこと40分。その間は郵便局から出られないのだから、あまりいい時間の使い方ではなかったように思う。

 新幹線と在来線のホームを行きつ戻りつして、新幹線全形式と京浜東北線103系や185系新特急を撮影。すると、まもなく「あさま80号(上野行き)」が入線するとの情報を得た。189系「あさま」は9月いっぱいで幕を閉じてしまうので、記念に1枚写真を撮る。北陸新幹線が開通すると信越本線(横川〜篠ノ井)が廃止または「しなの鉄道」に移管され、18きっぷ族にとっては大変使いにくくなってしまう。JR東日本は弱いものいじめが得意なようだ(ちょっと言葉が過ぎるかな。ゴメンナサイ)。しかし碓氷峠は重要文化財として整備されるらしい。電車が走らなくなるのはとっても寂しいけど、整備されるのはいいことだと思う(一方で、時の重みが感じられなくなるといった意見もある)。

(写真17:189系特急「あさま」)

 さて、「あさま80号」を撮影したら、時刻はすでに15:45になっていた。 ずいぶん長居してしまった。家に帰るのが遅れてしまう。家に帰れる最終の新幹線は「こだま435号」(豊橋着21:29、熱海発19:59)なので、これを念頭に置いて行動する。

 「あさま」を4番線から撮影したので、同じホームで東北本線の列車を待つ。ふと反対側を見ると、3番線に583系の姿が。車番までは確認しなかったが、「シュプール蔵王」の幕を表示していた。列車を一本パスして583系を撮影。また遅れてしまった。

 寄り道しながら家路を急ぐ!?

 16:10ごろ上野に到着。山手線で東京へ。切符の変更をするためにJR北海道プラザへ行く。というのも、「豊橋まで」と言ってしまったために切符を頂戴できなくなっているためだ。これを豊川まで(運賃同じ)に変更してもらう。

 東京からは横須賀線で新橋へ。新橋で降りたのは、4月からの消費税5%によって都営地下鉄が値上げをするか確かめたかったから。ここで昼食を摂る(といっても時刻は16:40)。またしても吉野屋の牛丼。一昨日食べたばっかりなのに。

 都営地下鉄の新橋駅へ行くのに迷った。というのも、案内通りに行ったら「工事中・通行止め」だったから。ちゃんと表示も変えておいてくれないと困る。で都営の改札に着いて、値上げについて尋ねたら「しない」とのこと。せっかくのチャンス、値上げしないのなら堂々と「値上げしません」と広告すれば好感度upなのに。

 JRまで戻るのが面倒くさくなり、京急で横浜まで行くことにした(「そっちの方が面倒くさいだろうがっ!」というツッコミをどうぞ)。羽田行きに乗り、品川で快速特急に乗り換え。

 横浜の地下鉄はどうも・・・

 17:45ごろ横浜着。せっかく横浜に来たので、「大学への鉄道」の横浜国大のデータを得るために走り回った。折しも帰りの通勤ラッシュの時間、かなり目立って&迷惑だったろう。私が持っている横浜のデータは乏しく、唯一市バスの路線図があるのみ。だから市バス・地下鉄の案内所を探したのだが、結局見つからなかった。地下鉄の改札には出たので4月からの値上げについて尋ねると、ぶっきらぼうに「しません」と。この辺り、どうも薄暗い。

 18:04発の沼津行き359Mに乗る。15両編成で、座るために1両目を選んだのだが、やや空きではあったものの座れなかった。藤沢でようやく席をget。

 風呂屋を捜して小田原を走り回る

 車内で時刻表とにらめっこをする。359Mは小田原19:04着、熱海19:32着。一方、我が家への最終便「こだま435号」は小田原19:48発、熱海19:59発。小田原乗り換えで44分、熱海だと27分の待ち合わせとなる。

 なぜこれにこだわっているかというと、銭湯を見つけて入浴するためである。26日夜は前に述べたとおり、27日夜は国分寺で銭湯を見つけて入浴の予定だったが、国分寺着が23時台だったのでタイムアップ。実は28日朝、風呂屋を求めて国分寺を走り回った。銭湯は見つけたのだが朝は開いてなかった。そりゃそうか。……というわけで2日間風呂に入っていないのだ(下着は替えてます)。朝のうちはそうでもなかったが、この時間になると気持ち悪くなってきた。

 結局、小田原で降りて風呂に入ることに決めた。タウンページで調べたところ市内に銭湯は3軒あり、2軒は方角は違うが駅から1km以内にあることが交番にある住宅地図で分かった。そのうちの近そうな1軒を目指す。が、「ここだ」と思う場所に銭湯がない。近くのコンビニで地図を立ち読みしてみたり電柱についてる町名・地番表示を頼りに探してみたけど、結局分からない。そうこうしているうちに時間に。新幹線に乗り遅れると帰れないので、渋々あきらめる。小田原〜熱海をよけいに払って、結局収穫なし。

 通勤列車「こだま」実体験

 「こだま435号」としてやってきたのは100系。なんか得した気分。が、乗ってみると自由席はもちろんデッキにまで人があふれている。しかも、そのほとんどがスーツを着たサラリーマン。“新幹線通勤”がここまで普及しているとは思わなかった。

 「といっても、新幹線通勤の範囲はせいぜい静岡東部、新富士あたりまでだろう。静岡まで行けばがらがらになる。」と予測してたのだが、予想大外れ。確かに熱海、三島、新富士と乗客は少しずつ減っていったが、静岡でもまだ乗車率90%台をキープしていた。相席で何とか席にありつけたものの、席が窓側だったためジュース、撮影等で度々出入りし(少しは遠慮したけど)、隣の方には大変迷惑をかけた(すみません)。

 そして、豊橋に着く頃になっても70%ほどの乗車率を保っていた。

 豊橋から

 21:29豊橋着。連絡改札口を抜け、3番線へ。久しぶりに赤い電車(パノラマスーパーだったんで赤と白だが)を見るとホッとする。赤い色を見てホッとするのも変な話だ。

 停まっていた特急は21:32発で、私が階段を下りると同時に発車してしまった。しょうがないのでぶらぶらする。ちょうど飯田線の電車が入ってきたので、車掌さんからオレンジカードを買う。飯田線のオレカは豊橋駅では手に入らない。

 次の特急は21:45発なのだが、間抜けなことに、ぶらぶらしすぎたせいで行ってしまった。21:53発の急行に乗る。

 知立22:34着。22:37発の猿投行きに乗り換え。豊田市着23:59、「日進・八事・伏見方面はこの駅でお乗り換えください。23:00発上小田井行き、最終電車です。」とアナウンス。そんな時間になってしまった。3日間フルに遊んでいたことになる。

 ……というわけで、66.5時間に及ぶ旅行(?)は、幕を閉じました。読んでくださった方、ご苦労様でした。 



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